6. 双頭の蛇

 榮の予想通り、あの祠に奉られているのは『蛇神』であった。
 それも、双頭の蛇を奉っているらしい。
「榮くんはこういうのに興味があるの?」
「興味というか…職業柄というか…」
「えっ?」
「あ、こっちの話〜」
 榮は、それを確認すると引き上げた。
 明日になれば、実行も来てくれる。きっと、何とかなる。
 榮はそう思って別荘に戻った。

 その夜、榮の安らかな心は無残にも砕かれた。

 また、海岸で人が死亡した。今度も同じサーファーの若者だった。
 先に殺された連中と同じグループである事から、同一犯の犯行と断定された。
 死因も同じ、絞殺による窒息死だ。
 ただ、場所は違う場所だった。
 羽島には、島の北と南に海岸があり、祠がある海岸は北である。
 しかし、今回の事件は南の海岸で起きたのだった。
「また同じ…もう待ってられね〜よ!二手に分かれて水蛇を退治しよう!」
「二手?どうしてデスか?」
「双頭の蛇…という事は、身体を二つに分かつ事も可能のはず…
 だから、北と南に分かれた方が効率がいいと思う。これはあくまで、推測だけど…」
 榮の言葉に満足したのか、碧泉は、唇の端を持ち上げるようにして笑った。
「その推測は正しい。お前にしては珍しくキレるじゃないか!
 アイツは確かに双身に変わったよ。
 本体を壊された今、霊体となって自由な身体を得た。
 つまり、同時に叩かなければ逃げられるという訳だ」
「じゃあ、俺は北側…祠のある方の海岸に行く。
 巽ちゃんは碧泉と南に行って!佳那ちゃんは俺と一緒に北側、紺陽もな?」
 すると、それに佳那が不満の声をあげた。
「僕、大丈夫だよ。巽がアブナイの、良くないよ!」
 確かに、危険な事ではある。
 しかし、危険なのはみんな同じ…仮にも、巽は『式鬼使い』だ。
 碧泉は攻撃型で強く、巽を必ず守り抜くだろう。
「俺は、正直いって…佳那ちゃんが一番危ないと思うよ?
 『式鬼使い』になったといっても、今の佳那ちゃんなら、俺の方が確実に強いと思う。
 それでも、紺陽が使えるなら使った方が良いし…俺のサポートをしてよ」
 その言葉は重く、佳那はそれに従うしかなかった。

 島の南側にあたる海岸、そこに巽は向かった。
 港と隣接している為、整地されていたりと人工的で、
 霊的な事件が起こるようには到底見えない。
 やはり、人は規制されていることもあって少ない。
「ここじゃない…」
「ええ…既に離れています。そう遠くには行っていないでしょうが…」
 巽は引き寄せられるように歩き出した。
 向かった先は、岩場。
 足場が余り良くない。
 だが、巽はここだと確信を持った。それを証拠に…
「冷たい…」
 空気が違った。真夏の午後にこの空気はそぐわない。
「ねぇ…もう人を襲うのをやめて?そんな事しても、アナタはもう…」
 巽の呼びかけに応えるように、冷たい空気の塊が水の塊に変わり、蛇の姿を為した。
「お前に何がわかる…?」
 向けられる憎悪の感情に、巽は身体が重くなったように感じた。
「苦しい…よね?でも、イケナイの。憎しみは、自分を苦しめるだけ…」
 巽は霊力を高める。その霊力で見えない壁を作る。少しだけ、呼吸が楽になる。
「碧泉…《霊縛・千針の檻》」
 巽の言葉に碧泉が動く。両手が舞う様な仕草をつくる。
 その度、煌く光の針が水蛇の身体を貫き、その動きを止めた。
 全ての針を打ち込んだ碧泉は、巽の傍らに戻った。
 すると、おとなしくなるはずの水蛇が蠢き始め、その身を捨てた。
「脱皮…したの?そう、これじゃ足止めにはならないのね?」
 水蛇は脱皮したての新しい身体を伸ばし、巽に牙を向く。
「碧泉、《反射鏡壁》!」
 巽を背に立つ碧泉の前に向けた掌を中心に、
 透明に輝く鏡のような円形の壁が現れ、水蛇の牙から巽を守った。
「巽…迷っていても仕方が無い。私は攻撃型だ。
 守るばかりでは、霊力が無駄になる…」
 巽は、この蛇神を消滅させるのは可哀想に思えたのだ。
 護る者に裏切られた気持ち、それは神を忌霊に変えるに十分の仕打ち…。
「でも碧泉!」
「巽、私を失望させるな!」
 巽はビクッと身体を震わせた。
 そして、涙を堪える。
 ――泣いてはいけない。
 瞳をカッと見開くと、巽は覚悟を決めた。
「碧泉、《霊縛・千針の檻》!」
 再び、水蛇をその場に縫いとめる。
「碧泉、《雷破》!」
 もがく水蛇に向かって、巽と碧泉は同時に力を放つ。
 巽の霊力を碧泉の放つ電撃が包み、
 水蛇の身体にぶつけると同時に内部から放出させたのだ。
「ぐぎ…」
 水蛇は、身体をちりぢりにされないように堪えた。
 しかし、それ以上は、その身体を保つ事は出来ないように見えた。
 そして、予想通り、逃げ出した。おそらく、もう一体の身体と合流するのだろう。
「追いますか?」
「うん。ごめんね、碧泉…私――」
「大丈夫、あとはアイツに任せましょう」
「……うん…」

 巽の肩を抱きながら、碧泉は北側の海岸に向かおうとした。
 その途中、見覚えのある人物に出くわした。
 前髪をセンターで分けた黒髪の少年は、巽の沈みかけた気持ちを浮上させた。
「実行さん!」
「何や、巽ちゃん?!どないしてん?」
 いつもおとなしい巽が、泣きそうな表情で駆け寄ってきたのだ。
 実行でなくても、何か良くない事態に陥っている事は想像できた。
「碧泉、お前にしちゃ、珍しく失敗したみたいだな?」
 実行の隣に立っていたのは、
 藍色の、ゆるいウェーブのかかった髪をポニーテールにしている長身の美女…。
「藍華!口を慎め。私が失敗などするはずが無かろう?」
「そうかねぇ?俺は感情的になるお前、見たのは初めてだぜ?」
「お前等、いい加減にしろよ。それで巽ちゃん、榮たちに水蛇が任せられると思う?」
 実行は、言い争う二匹の式鬼をたしなめ、巽に優しく問い掛けた。
 巽はふるふると首を横に振る。
「佳那くん、紺陽の主になったばかりなの。
 だけど、紺陽がいるから大丈夫だと思う。…だけど、榮くんは…」
 式鬼は主を必ず守る。
 だから、佳那は紺陽が居る限り命の保証は出来る。だが…
「榮くんが危ないの…榮くんが死んじゃったら、そんなのイヤ…イヤだよ?」
 涙を流して訴える巽に、実行も深刻にならざるを得なかった。
 巽を抱え上げて走り出す。
 藍華と碧泉は《隠形の術》で姿を消して、空を走らせた。
「あ、ナイスなモノ発見!」
 途中、店の前で原付バイクに乗ろうとした若者の前に、実行は駆け寄ると、
 その男の目の前で指先で円を描くような動作をすると、
「《操心印》!」
 と叫んで何やら印を切った。
「これ、確かに借りたから!巽ちゃん、後ろに乗って!」
 その男から原付バイクを奪うと、巽を後ろに乗せて走り出した。
 男は暫く放心していたが、我に返っても、自分のバイクが無い事に
 何の違和感も感じていないようだ。
「間に合ってくれよ〜!」

はじまりの夏・7へ続く。